社会福祉法人「北九州いのちの電話」副理事長・研修委員長 冨安 兆子
H30年2月掲載
「北九州いのちの電話」は1977(昭和52)年8月15日、日本で5番目の電話センターとして出発した。創立者は秋山聡平医師(精神科医・故人)で、患者さんの自死がきっかけであった。
開局の翌16日、すでに発足していた「いのちの電話(東京)」「東京英語」「関西」「沖縄」と、誕生したばかりの「北九州」の5センターとで「日本いのちの電話連盟(略称FIND)」が結成された。“Federation of Inochi No Denwa”の頭文字からなる“FIND”には、生物に埋め込まれている筈の生きる本能にさからって自ら死を選ぼうとする追い詰められたコーラー(かけ手)が、電話での対話を通して希望を見出し、生きる方向性を発見してほしいという願いがこめられている。
その後、「いのちの電話」の活動は全国50センターにまで拡がり、現在は約6800人のボランティアが、24時間、365日「眠らぬダイヤル」として活動している。
「北九州いのちの電話」は今年40周年を迎えるが、発足当時は「ボランティア」という言葉さえ知られていなかった。35年前の5周年を期に24時間体制に入り現在に至っている。
戦後急速に発展した都市型社会にあって、さまざまな不安や悩みを抱え、危機に直面しながら身近に信頼できる相談相手もなく、絶望して生きる力を失いかけている人たちが少なからず存在する。そうした危機的状況に置かれた人たちの訴えを、ひたすら聴き、うけとめ、共に考えることによって、掛け手の動揺や混乱が吸収され、整理されて、さらなる自己洞察に至るプロセスをサポートすることが「いのちの電話」の使命なのだが、これには非常に困難な側面がある。
「いのちの電話」は、それを必要とする人にとっては「いつでも、どこでも」かけられるという利便性を持っている。ところが、受け手からすると、いつ何どき、どういう内容なのかの予測もできず、従って事前の準備もなしに、まさに「一期一会」の覚悟で聴くことが求められるからである。
専門家を含むボランティア集団によるこの活動は、市民による、市民のための活動として、掛け手と受け手の対等な関係性を重要視し、そして一人の人間として、よき隣人として、孤独な人の傍らに存在することが第一義的に求められる。
名前も知らず、表情も見えない中で、音声のみによるコミニュケーションが成立するためには、何より集中力と洞察力が欠かせないだけでなく、言語化能力も高めていかなければならない。掛け手の言葉の背後にある感情に寄り添いつつ、訴えの中心課題からそれないよう、時にクールに応答する臨機応変の態度も持っていなければならない。
聴き手の深いところから出た応答の言葉こそが、掛け手の深いところに落ちて納得するということからも、「いのちの電話」で活動する人は、聴くスキル以前に、人間性と、人間性を形づくる哲学や死生観を確かなものにしなければならない。
「いつでも」「どこでも」必要なときに対話できる筈の「いのちの電話」が、かけてもかけても話し中で「つながらない」というお叱りを受けることもしばしばである。日本社会の高齢化や人口減を反映してか活動者が不足する悩みをどのセンターも持っている。歴史の古いセンターほど、おしなべて聴き手の高齢化が課題になってきているし、家族の介護や自身の健康問題、転勤などで活動から撤退せざるを得ない活動者も多くなっている。
また、通常の電話と併行しながら毎月10日に全国のセンターで一斉に実施される「フリーダイヤル」にも対応しなければならない。主として経済的な事情から、月に一度無料で通話できるこの日を待っている人が全国に大勢いるからである。必要とする人が必要とするときにつながるためには活動者の数がもっともっと増えなければならない。毎年新たに相談員を募集するのだが、1年半に亘る養成研修の上に、相談員として認定された後も毎月実施される継続研修に参加する義務がある。
絶えず変化する社会の潮流や変貌する時代の要請は、そのまま電話の内容に反映されるから、その変化に対応できる相談員であるためには、絶えざる研鑚で自らを鍛えておかなければならない。
こうした厳しいハードルにも拘らず、必ずしも多くはないものの、毎年一定数の認定者があることは、社会の質を示す指標としても希望が持てると言うことができよう、ワーク・ライフ・バランスの普及や、これから暫くは続くであろう団塊の世代の定年退職者の増加が、一人でも多くの人たちのボランティア活動への回帰につながることを強く希うばかりである。
「話す」と言う行為は、胸中のわだかまりや痛み、苦しみ、不安、憎しみと言った負の感情を「放す」ことでもある。話す(=放す)ことを通して混乱と動揺の中にある人が落ち着きを取り戻し、考えを整理して、未来への希望と進むべき方向性とを見出せるように支える活動は、自己破壊行動(自殺)の防止にとどまらず、悩みや恨み、怒りを放出できる場として機能するからこそ、他者への破壊行動(殺人)の防止にいささかなりとも役立っているのではないかと考えられるのである。
匿名性と24時間体制を基本として、敢えてアウト・リーチの試みはしないことに徹してきた「いのちの電話」だが、複雑多岐に亘る問題を抱える現代社会で、一つの組織として自己完結することは所詮不可能である。
北九州という地域社会の中で、自殺対策にかかわる多くの組織の、それぞれが持つ機能を有機的に組合せて効果的に対応するためには、それぞれが最も得意とする機能を持ち寄り連携することが重要であるのは自明の理である。
しばしば、「自殺予防の老舗(しにせ)」と揶揄される「いのちの電話」だが、関連機関との繋がりを疎かにせず、「繋ぐ役割」を一層大切にして行きたいと考えている。