北九州断酒友の会 学習部長 堀口 俊明
H29年11月掲載
アルコール依存症だった自分の体験が、少しでも自殺予防の役に立てればと思い筆をとりました。
私は、二十歳の時にはすでにアルコール依存症の道を突き進んでいました。
当時は、関東で一人暮らしをしていましたが、車の購入等で生活はギリギリの状態でした。それでも毎日、酒を口にしていました。仕事は製造業で昼夜勤の勤務でした。女性との付き合いもなく、楽しみは週末にスナックへ行くことでした。もちろん飲みに行く交通費が勿体ないので車で通っていました。
女性との会話(お客を立ててくれる)は、人生でこれほどいいものはないと通い詰める日々で、帰宅は飲酒運転が当たり前の状態でした。
同じ形の車が人を跳ねたと警察が来るが記憶はなく、車の特徴が違うとわかるや否や車の違いを一生懸命説明するというような荒んだ生活を送っていました。
こんな生活が続き、とうとう本当に飲酒運転事故を起こしてしまいました。
軽バンを無理に追い越して側面衝突しましたが、記憶はありませんでした。
後日、被害者の方にお詫びに行くと「車はいくらでも修理できる。俺は子供(当時2歳)が驚いて泣き叫んだのが許せないんだ!」と怒鳴られました。
ひたすら頭を下げ、これではいけないと地元九州に戻りました。
新たな気持ちで再出発と考えましたが、それも束の間、三年後には小倉の街に週末ごとに通い始めていました。
帰りは記憶を無くし、服に入れておいた数万円がなく女の子の名刺だけが残っているような状況です。
そのうちに、離脱感から何もしたくないと会社を休み、酒を飲み続け、ついには、うつ状態になりました。会社をサボり、寝小便をたれ、家族に迷惑をかけている自分の存在が不必要に思えてきました。
そんなある日、辛い、きつい、何もしたくないと会社に行けず、ただ口に酒を注いでいました。
そして、「もう死のう」と思い台所から包丁を持ち出し自分の部屋のテーブルに包丁と焼酎を並べて「いつ刺そう、いつ刺そう」と思いながら、一方で、自殺したら警察が来て自分の寝小便をした姿を見て何と思うのか?
近所にバレて家族はここに住めなくなるだろうか?と酔った頭で考えていました。
そうこうしているうちに母親に見つかり自殺は未然になりました。
そして、こんな自分が、歯痒くて、侘しくて、どうにかしたくても何もできなく、泣きながらも、まだ酒を口にしていました。
数年後、父親に精神科病院へ連れて行かれ、そこで断酒会と知り合いました。
断酒会では知らず知らずのうちに溶け込んでいくことができました。断酒会は、酒で失敗した経験等を話します。自分のやってきたことを掘り起こします。
たいていの人は、酒が原因で自殺を考え実際に自殺未遂をした人もいます。皆、飲酒でうつ状態になり、自殺という二文字が頭を駆け巡っていたのです。
人は、過去の過ちを記憶から消すことが出来る生き物です。良いことはしっかり記憶に焼き付け、過ちや不都合は消し去ります。断酒会は、お酒で失敗した経験を話し合い現実と向き合うことで、二度と飲酒による過ちを繰り返さないようにするための場、そして新しく生き直す場です。
今、私は北九州、福岡県、九州、全国の仲間に支えられて過ごしています。
飲酒の量が過ぎるとうつ状態になり、自殺という二文字が見え隠れします。心の病は様々ありますが、同じ悩みを持つ仲間と共に生きる。これこそが断酒会などの自助グループの目指すところではないでしょうか?
今、お悩みのあなた。一歩を踏み出し、回復のための出会いを求めてください。必ず仲間が待っています。