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こころのメッセージ


こころの病気にならないために ~楽しく生きるってどんなこと?~

教育文化研究所 代表 長阿彌 幹生(ちょうあみ みきお)

H16年12月掲載

 私は「なかよし研究会」という仲良しな人間関係について考える場を主宰してもう十年になります。最初は私の娘たちの不登校について考えてほしいと、友人たちに集まってもらって、私自身の子育てについて色々と意見を言ってもらうことから始まりました。やがて、同じような子育てで悩むお父さんたちが集まってきて「お父さん研究会」が始まり、お母さんたちの場としての「こども研究会」が発足しました。今では、福岡県を中心に8会場で定例開催され、その回数は年間100回を超えています。

 この研究会にはいろいろな人たちが集まってきます。不登校とかリストラ、夫婦問題など悩みを抱える人もいれば、「なかよし」に興味があるから参加したという人もいます。2、3時間、その時に考えたいテーマについて話し合し合います。深刻な話なのですが、話していく中で心や智恵が寄ってきて、何かしらほのぼのとした場になっています。

 「お父さん研究会」の仲間に、Yさんがいます。彼は画家です。絵を売ったり、絵の講師をして収入を得ています。以前はデザイン関係の仕事をしていましたが、「お金に縛られる生活をしたくない」と今の生活に踏み切りました。収入は減り、経済的に豊かとはいえないのですが、よくスケッチ旅行に出かけます。お金という囚われから解放されることで、やろうと思ったことをやれる自由さを手に入れたようです。

 我が子の不登校がきっかけで「こども研究会」に参加するようになったIさんがいます。彼女は、子どもや自分に対する夫の態度や言葉に傷つく毎日を送っていました。しかし、同じような悩みを持つ仲間との出会いや「こども研究会」で考えていく過程で、「こうあるべき」という妻とか母の枠の中に自分を無理やり押し込めて、良妻賢母を演じようとしていたことに気付いていきました。そうすると、抑えこんでいた自分の気持ちを序々に夫にぶつけることができるようになりました。最近では友人と出かけるなど、自分の時間を持てるようになりました。

それまでは、自分の楽しみなど二の次でした。我が子のことが気になって楽しむ気になれなかったからです。「結婚してからはずっと行けなかったコンサートに行ってきたんですよ!」と嬉しそうに話すIさんの顔は、今まで自分で自分を押し込んでいた枠から外に踏み出し、一人の人間として自由な生き方を味わった満足感に溢れていました。

 人生は何のためにあるのか考えたことはありますか?人は何のために生きるのでしょう?
 私は、人生は楽しむためにあると思っています。毎日を楽しく生きることができたなら、どんなに幸せなことでしょう。みんなが楽しく生きる社会になればいいなと思っています。そのために「なかよしな人間関係」を研究しています。

 私も娘たちの不登校をきっかけに、ある時期とても苦しい思いをしました。出口が見えない迷路に踏み込んでもがいていました。この先どうすればよいのかわからなくなってしまって、友人たちに助けを求めました。友人たちは私が娘とどう接していけばよいか、一緒になって考えてくれました。私にはそのときの友人たちの助言がとても温かく感じられて、そのことで随分元気をもらいました。それが今の私の研究会活動の原点となっています。
 「楽しく生きる」ってどういうことでしょうか?旅行やゲームをすることも楽しいことですが、それは「楽しいこと」であって「楽しく生きる」こととは違うような気がします。どうしてなら、一生ずっと旅行やゲームをする気にはなれません。疲れてしまいそうです。

 「楽しく生きる」というのは、どんなことをしていても楽しいと思える生き方ではないかと思います。ですから「楽しいこと」というものがあるのではなく「楽しく感じる姿勢」「楽しく思える考え方」を身につけるということではないかと思います。
 私が楽しいときはどういうときかと考えたら、人と仲良く何かをしているときを思い浮かべます。事柄は何でもいいのです。誰かと助け合い、協力することがとても楽しいことだと思えるのです。心が満たされて、とても豊かな気持ちになるからです。
 反対に「楽しくないとき」は相手に対して腹が立つときです。「なかよし研究会」では「どうして腹が立つのか?」をよく考えます。腹が立つのは、「喜怒哀楽」といって本能のように思っていますが、冷静に考えると、「何であんなに怒ったのだろう?」と思えるようなことが多々あります。人が怒っているのをみるとよく分かります。それくらいのことで怒らなくてもと思うようなことがあります。時には、まったく誤解して勝手に腹を立てていることもあります。

 私たちの脳はそれほど優秀ではありません。人の話を聴くにしても、それぞれに自分の都合で聴いていることが多いです。だから、相手の話を「そのままそっくり聴いて」いるかというと疑問です。いい例が「伝言ゲーム」です。聞き伝えがいかに曖昧で不正確かを証明してくれます。私たちはその程度の実力しか持っていないのに「この耳で聴いた」と確信をもち、相手が自分の聴いたことと違っていた場合は自分のことは疑わずに、相手を疑ったり、時には腹を立てたりします。「自分が正しい」と思う気持ちが強ければ強いほど、相手が自分と違う意見を言うと、退けたり否定したりします。
 私たちはいつのまにか常識という「固定観念」に囚われて、素直な気持ちを忘れる傾向があるようです。自分の心の声さえも聞こえなくなります。もっとありのままに、素直な自分で生きられたら、「楽しく生きること」が実現するのではないでしょうか。
 自分の姿は鏡が無いと見えません。自分の心は鏡でも見えません。自分の心は他人という鏡で見るしかありません。なかよし研究会は自分を映す鏡だと思っています。一人で考えないで、みんなで考えていくことで「楽しく生きる」=「なかよし」が少しずつ実現していくように思います。

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