北九州マック スタッフ 秋月 剛
H27年12月掲載
私は、両親と3歳年上の兄が1人の4人家族で育ちました。父親はとても仕事熱心な人で、私が小学校の頃から単身赴任で各地を転々としていましたが、病気の為に55歳で他界してしまいました。ですから、私には父親との思い出はほとんどありません。 母親は、真面目で「竹を割ったような性格」で、子どもの躾や教育に熱心な人で、よく叱られた記憶があります。そんな母親が怖くて、いつもおどおどして、いつも「親の顔色をうかがう子ども」になっていました。
母はよく女の子に恵まれなかったことを悔やむように話していました。私は、男の子で産まれたことが申し訳ないような気持ちになって、いつの間にか自分の存在にたいして罪悪感すら感じるようになっていきました。恥ずかしい話ですが、私の夜尿症は小学校の高学年まで続いていました。失禁してしまった朝も、叱られると思って、母親に告白できず、濡れた下着のまま学校に通学していました。学校から帰宅すると、玄関に仁王立ちした母親が待ち構えていて叱責されていました。この頃から、朝の登校中に烈しい嘔吐に見舞われるようになりました。家も学校も…安心できる場所がないような気になっていました。
中学2年生の時、学校でいじめにあい、辛くて母親に相談したところ「文武両道。勉強と運動で1番になって、周りを見返してやれ」と言われました。成績は、県下でトップクラスの公立高校を狙える順位にいましたし、テニス部では県代表として全国大会に出場しました。社交的で友だちも多い方だったと思います。でも、私自身の自己評価はとても低く「自分はダメな子」と思っていました。実際に母親にもそう言われていました。また、1番にならないと叱られました。家族にも友人にも心を開けず、人に怒られたり、人に拒否されるのが怖くて…、とても「社交的なひきこもり」でした。
高校3年生の頃に、私の「違和感」はついに混乱してしまい、母親に「自分は精神的に病気になっているかもしれない。治療を受けさせて欲しい。」と勇気を出して相談しましたが、受け入れてもらえず「おまえもとうとう気が狂ったか。歯を食いしばって、なにくそ!と気合をいれろ!」と、また怒られました。
1浪の末、地元の大学に進学。部活の費用まで親に負担させてはいけないと、バイトを始めました。ある晩、バイトで遅く帰宅した時に「おまえは、大学まで行かせてやっても、やっぱりダメだな」と言われました。その時、私の中で何かが弾けました。「もう、いいよ…」という感じで大学を辞めました。家を出て一人暮らしをしてみましたが、独り暮らしのアパートでも、親に監視されているようで落ち着かず、いつも怯えて暮らしていました。 この頃から、アルコールを飲むようになっていました。美味しいと感じたことはないのですが、あの酔いが回ってきた時の解放感に魅了されて、飲んだら必ず泥酔まで飲んでいました。酔っている時だけ、本当の自分に戻れる気がして、アルコールの虜になり、アルコール依存症になるまでそう時間はかかりませんでした。
職場では、いつも酔っぱらっていると言われ、ますます仕事に行くこと、人に会う事が怖くなって、私は一人引きこもって飲み続け、もうどうなってもいいとすら思ってしまうようになっていました。
33歳の時、知人のアドバイスでアルコール依存症専門治療病院に繋がることができました。私を診断して下さった医師から「あなたはアルコール依存症です、心の病です。治療の必要があります」と告知されました。不思議なことに「そうか!わかった!自分の子どもの頃からの『生きづらさ』は、やはり病気のせいだったのだ」と、私はすぐに病気を受け入れることができました。
しかし、アルコールを止める事が出来ませんでした。いつの間にか、F市内のアルコール依存症治療の病院を総ナメにして、入院回数は20回を超えていました。もう入院をさせてもらえる病院もありません。繰り返す入退院で、自助グループの中でも疎外感を感じるようになって、仲間、友人、そして家族からも見放されてしまいました。母親に対しては「自分をこんな目に合わせておきながら、無責任だ。最後まで責任をとるべきだ」と思いました。
自己否定感、疎外感、孤独感、苦しみ、怒り、悲しみ、そして、自分の育った境遇への恨み…あらゆるマイナス感情に押しつぶされそうになって、気が狂いそうでした。本当に一人ぼっちになってしまいましたが、お酒は止まりません。もう、トイレに行く力すらありません。このまま死んでいくのだと思いました。
孤独の中で、すべての問題は、自分自身の中の「甘え」にあるのだということに、ようやく気づくことができました。この「気づき」の中で、私は幸運にもまだ生きていました。
私は、無我夢中で自助グループに通い始めました。それしか思いつかなかったのです。もう見栄も外聞もありません。そんな中で、私は一人の男性と出会い、私に「AAの12ステップ」という断酒プログラムを教えてくれました。そして、私はその方を追いかけて「北九州マック」にたどり着き、気がついたら、お酒が止まっていました。
結局、私の「生きづらさ」の原因は全部、「不正直な生きかたをしてきた自分」が作ったものでした。だから、今までの自分の「生き方、考え方」を根本から変えていく、そのために「12のステップ」に取り組んでいます。
私の回復は、まだ始まったばかりですが、ずいぶん楽になってきました。 ようやく、自分の人生の責任は、自分にあると思えるようになって、いつの間にか、母親に対する「恨み」の感情も消えはじめ、むしろ「私はこんなに母親を愛していたんだ」と気づくことができました。
本当の「自立」に向かってここから成長して、もう一度生きなおしてみようと思っています。